ご訪問ありがとうございます。
スタジモンは音楽収録と編曲を兼ね備えた少し変わった制作スタジオです。
全国でCM・楽曲などの制作を行っております。(令和三年、拠点が島根へ移転しました。)
商用コンテンツ、アーティスト活動や個人利用、販売運営代行、プロデュース等フレキシブルに対応します。
はじめまして、音楽クリエイターの大浦と申します!
この度はスタジモンに出会っていただきありがとうございます。
ここまで見ていただいた貴方に、少し自己紹介をさせてください。
神戸生まれの私は震災の影響で、短いですが幼い時期を祖母の居た島根県大田市で過ごしました。
大田市を離れてからの辛かった学生時代も、長期休暇の期間はここでのんびり過ごしていたためか、
感覚的にはどこか故郷のように思っています。
以前は都市部に楽曲制作スタジオを構え、企業様やアーティスト様向けに制作業を行っていました。
死ぬ気で叶えた「大好きなクリエイトで仕事する!」という目標ですが、
その代償は「地味」「ハード」「ブラック」と、思い描いたのとは真逆の世界。
それでも生きるため必死でスキルとキャリアを磨く希望と諦観の日々でした。
楽しく制作案件の打ち合わせを進めていたある日、ふと考えてしまいました。
そもそもは音楽活動をしていたのに何故「制作」という裏方を務めるようになったのか…
それは当時、周りに気軽に制作などについて相談できる大人がいなかったからでした。
いや、正確にはアドバイスをくれる方はいたのですが、価値観の押し付けが凄かったんです。
「自分の創りたいものをその方向に共に舵を取ってくれる頼みやすい誰か」を私は望んでいたんです。
しかし実際は、楽器奏者へのギャランティや決して安くはないレコーディングスタジオの料金…
いざ自分のパート録音に臨む頃には、肝心の身体は深夜のように重くなってしまう。
いつも誰かに責任転嫁して逃げるのが嫌で様々な楽器と録音を本格的に始めました。
そして「自分の為」がいつしか「他人の為」になり、気づけばキャリアをスタートさせていました。
もちろん夢を叶えてきましたから後悔などという感情は全くないのですが、今でもたまに
「あの頃もっと楽しく向き合えていたら」「もっと身近に環境があれば」等と考えてしまいます。
そんな中、祖母が療養中の為に長年空き家になっていた家を管理することになりました。
しかし往復は楽ではなく、拠点のこともありどうするべきか実はまだ悩んでいましたが、
知人の紹介で大工仕事を手伝ってくれた方からふと「この周辺にはそういう人がいない」
という話を聞き、不思議な感情に胸がざわつくのを感じました。
もしかしたら、まだ自分のような人の力になれるかもしれない。
おこがましくも、そんな思いが灯るのです。
辛かった自分を幾度となく包み込んで前に進めてくれた心のふるさと島根。
そんな場所で個性を奏でる誰かと、そこから生まれる大切な何かが、
どうか最も響き合う形で誰かに届きますように。
時に照らす灯のような、時に帆に吹く追い風のような、
舵取りにとってのそんな存在でいられたらなと、日に日に強く思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
共に奏でられるご縁がありますこと、心より楽しみにしております!
大浦